中等野球大会 野球統制令以前の大会

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1915年(大正4年) 夏の優勝野球大会が始まる。
1916年(大5年)  
1917年(大6年)  
1918年(大7年)  
1919年(大8年)  
1920年(大9年)  
1921年(大10年)  
1922年(大11年)  
1923年(大12年)  
1924年(大13年) 春の選抜大会が始まる。
1925年(大14年) ◆神戸新聞一万号記念選抜中等学校野球大会[11月]
1926年(大15年) ◆第2回選抜中等野球大会[9〜10月]
1927年(昭和2年) ◆第3回選抜中等学校野球大会[10月]
1928年(昭3年) ◆第1回全国選抜中等学校野球大会[8月]
◆第1回全国中等学校名古屋野球大会[8月]
◆東日本中等学校野球大会[9月]
◆御大典奉祝 全国中等学校選抜野球大会[11月]
◆第4回選抜中等学校野球大会[11月]
◆阪神甲子園博中等選抜野球大会[11月]
◆中等学校リーグ戦[11月]
◆第一回選抜中等学校野球大会[11月]
1929年(昭4年) ◆第3回首相旗争奪中等学校選抜野球大会[4月]
◆第1回全国中等学校優勝野球大会[4月]
◆第2回全国選抜中等学校野球大会[8月]
◆日本選抜中等学校野球大会[8月]
◆第2回全国中等学校名古屋野球大会[8月]
◆第2回全国中等学校選抜野球大会[8月]
◆第5回全国中等学校野球大会[8月]
◆西日本選抜中等学校野球大会[8月]
◆第2回東部日本選抜中等学校野球大会[8月]
◆第5回全国中等学校選抜野球大会[9月]
◆首相旗争奪甲子園選抜中等学校野球大会[9月-10月]
1930年(昭5年) ◆第1回各地選抜中等野球大会[1月]
◆第2回近県選抜中等学校文相盃争奪野球大会[4月]
◆第2回全国中等学校野球大会[4月]
◆第2回浜口首相旗争奪甲子園選抜中等学校
野球大会[4〜5月]

◆第3回全国選抜中等学校野球大会[8月]
◆全国選抜野球大会[8月]
◆第3回全国中等学校名古屋野球大会[8月]
◆第2回日本選抜中等学校野球大会[8月]
◆第3回全国中等学校選抜野球大会[8月]
◆第1回全国選抜中等学校野球大会[10月]
◆第1回全日本中等学校特選野球大会[10月]
1931年(昭6年) ◆第1回首相旗全国中等学校選抜野球大会[4月]
◆第3回全国中等学校優勝野球大会[4月]
◆第10回京阪神中等学校対抗野球大会[5月]
      ├神戸側予選[4月]
      ├京都側予選[4月]
      └大阪予選[4月]
◆第1回東北選抜中等学校野球大会[5月]
◆第1回北本州中等学校選抜野球大会[5月]
◆第4回全国選抜中等学校野球大会[8月]
◆第3回選抜中等野球大会[8月]
◆第4回全国中等学校名古屋野球大会[8月]
◆八戸市制三周年記念北日本選抜中等学校野球大会[9月]
1932年(昭7年)  野球統制令発令

■野球統制令以前には甲子園、神宮大会以外にも各地で大会が行われていた
明治期に日本に伝わった野球は大正期になると次第に普及、拡大され、昭和
初期には既にメジャーなスポーツとなっていた。中等野球界も春夏甲子園
を筆頭に盛り上がりを見せ、幅広い階層から多くのファンをつかんだ。当時の
中等野球の人気は凄まじく、全国大会である朝日新聞社が主催する優勝野球
大会や毎日新聞社が主催する選抜中等野球大会、また明治神宮大会での硬式
野球も観客は盛況。全国大会はその3つの大会に留まらず、新聞社や電鉄会社
も自ら主催に名乗り出て営利目的で中等野球の全国大会や地区大会を開催
するほどだった。
強豪校ともなれば全国各地で開催される大会に頻繁に選抜され出場するわけ
なので、当然選手達は学業がおろそかになってくる。
こうした当時の中等野球を含む学生野球の状況をなんとかしなければならない、
ということで学校の対校試合や大会開催のルールを定めた”野球統制令”が
1932年(昭和7年)に文部省から発令された。この野球統制令により
中等野球界でも甲子園、神宮大会以外の全国大会は消滅の道を辿るわけ
だが、どちらにしても中等野球の大会で一番盛り上がるのは春・夏の
甲子園だったので、各地で行われていた全国大会がなくなったとしても中等
野球熱が冷めることはほとんどなかったようだ。
で、野球統制令が施工される以前の節操無く各地で大会が行われていた
時代に遡り、埋もれてしまった記録を掘り起こしてみようと思った。



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