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掲示板、ブログ、SNSのDM等、読者の方からの調査依頼や質問の内、判明したもの をこちらで紹介していきます。過去の分も追加していきます。 |
◆Q 1949年春の四国大会決勝は、雨で中止、とネット上だといろいろなサイトで 見るのですが、 こちらのサイトだと試合が行われている結果となっています。 これは、後日決勝が行われたということなのでしょうか? |
◆A 当サイトでは松山一2−0高松一としています。情報源は 「記録と写真で見る[野球王国](愛媛の野球100年史 愛媛新聞社編)」です。 「記録と写真で見る[野球王国] (愛媛の野球100年史 愛媛新聞社編)」 P592に以下の記述があります。 引用----------------------- 県大会は松山一(現松山東)、松山商の決勝となった。 松山一は1回戦を不戦勝、準決勝で八幡浜商(現八幡浜)を 7−1で下した。一方、松山商は1回戦で越智(現今治南) と対戦、9回表に山本忠の左翼席に入る本塁打で同点とし、 延長10回に相手エラーで決勝点を挙げた。決勝の松山商 −松山一戦は3−3で延長に入り、松山一が10回裏、 スクイズでサヨナラ勝ち、初優勝した。四国大会に進んだ 松山一は、決勝で高松一(香川)を2−0で下し初優勝した。 引用ここまで--------------- 大会は6月18日から高松中央球場で行われました。 一方、香川県の連盟史「讃岐球児の歩み 連盟五十年史」には雨のため無期延期 とあります。当サイトでは愛媛新聞社の記録を採用しました。試合があった、 なかったと違うことが書かれているのですが、記録を載せたうえであったとして いる側のほうが正しいと判断しました。 これは管理人の創造妄想憶測なのですが、中止→無期延期になった大会決勝は 6月18日(か19日)から相当後になって行われたため、高野連関係者すべて に伝わっていなかったのではないか?前回のQ&Aのコーナーでも言及しました が、戦争が終わって数年の時代は夏の大会が終わったら最上級生は即引退という のが定着しておらず、秋の大会も普通に3年生が出場していたことを考えると、 この大会決勝はひょっとしたら夏の大会以降に行われた可能性もあると考えて います。 追記・・弘田氏の追加調査により新たに情報をいただきました。 ありがとうございます。2021/04/06 延期になった大会決勝は6月26日に行われていたことが判明しました。 引用------------------------------------------------- 2A―0 高一高惜敗 四国選抜高校野球決戦 雨のため延期となつていた四国 選抜高校野球、高松一高対松山 一高の優勝戦は二十六日都市対 抗香川予選決勝戦に続いて高松 中央グラウンドで挙行、一高は 二十連勝を目前に2A―0で惜 しくも栄冠を逸した 高松一高000 000 000=0 松山一高010 001 00A=2 【バッテリー】 ▽高松 北村、小原―山下 ▽松山 稲田―宇野 「四国新聞」1949.06.28(二)より 引用ここまで-------------------------------------- 当時のカレンダーを調べてみると6月26日は日曜日で、18日土曜日に大会 が開幕、一週間後の日曜に順延となった試合が行われていました。 「記録と写真で見る[野球王国] (愛媛の野球100年史 愛媛新聞社編)」 「松山中学、松山一高、松山東高 野球史」ともに松山一2−0高松一高 (スコアのみ)で掲載。 ここからさらに弘田氏の調査によって当時の「四国新聞」からランニング スコア、バッテリーつきの結果も判明しました。 1949.06.26春四国大会決勝 さらに弘田氏に情報提供いただいた資料の中に、上記の四国大会決勝と同日 6月26日に行われた香川のチームとこの年1949年の選抜高校野球の 覇者・北野との練習試合の結果、香川・徳島対抗戦の結果もあり、こちらも 興味深い内容だったので 練習試合殿堂に載せました。 ありがとうございました。 |