戦時中の野球ルール
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太平洋戦争の戦局が悪化した1943年(昭18年)には中等野球、都市対抗野球、東京六大学野球
などの大会が相次いでが中止された。この時期もまだ行われていた職業野球は、野球ファンに
とって唯一の娯楽だったようだ。
しかしこの非常時に野球とは何事かと、軍部の非難の的となり、職業野球関係者が悩んだ結果、
野球用語を日本語化するということで、職業野球をなんとか生き残らせることができた。
1943年(昭18年)春、読売新聞旗争奪戦から野球用語を日本語化して行われることになった。
主な野球用語
プレイボール
=
始め
ストライク
=
一本、二本
ワンストライク
=
ヨシ一本
ボール
=
一ツ、二ツ、三ツ
ツースリー
=
二本、二ツ
三振
=
それまで
アウト
=
引け
この日本語による野球は、野球らしくないとの理由でファンだけではなく選手、審判にも
評判が悪かったらしい。
主な野球ルール
1.ユニフォームのロゴはすべて漢字
2.打者は球をよけてはいけない
3.隠し球の禁止
4.「盗塁」の文字を「奪塁」に変更
5.最後まで戦い抜くために選手の途中交代禁止
6.9回表で勝負がついても敵を徹底的に打ちのめすために9回裏の攻撃もあり
など、中には滅茶苦茶なものもある。2〜4に関しては”武士道に反する”という理由からである。
この内の1、2は前年の中等野球”幻の甲子園”でもすでに採用されていた。
その後、職業野球も1944年(昭19年)11月には中止されたが、1945年(昭20年)8月の終戦からわずか
3ヵ月後の11月に復活を果たしている。