ページの トップへ |
トップへ |
掲示板、ブログ、SNSのDM等、読者の方からの調査依頼や質問の内、判明したもの をこちらで紹介していきます。過去の分も追加していきます。 |
◆Q 1931年(昭和6年) 夏の甲子園第17回大会決勝の中京商と嘉義農林の試合の詳細を知りたい |
◆A 大阪朝日新聞でこの試合の経過を見つけることができたので、参考に テーブルスコアを作りました。 |
決勝 |
【嘉義農林】 | 打 数 |
得 点 |
安 打 |
打 点 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
(左) | 平野 保郎 | 4 | 0 | 1 | 0 | 中飛 | 三ゴ | 三ゴ | 左安 | |||||
(中) | 蘇 正生 | 4 | 0 | 1 | 0 | 遊ゴ | 三振 | 遊安 | 二飛 | |||||
(遊) | 上松 耕一 | 4 | 0 | 1 | 0 | 左安 | 三振 | 三ゴ | 一邪 | |||||
(投) | 呉 明捷 | 4 | 0 | 1 | 0 | 遊ゴ | 遊ゴ | 二ゴ | 三安 | |||||
(捕) | 東 和一 | 4 | 0 | 0 | 0 | 二ゴ | 二失 | 三振 | 遊飛 | |||||
(三) | 真山 卯一 | 4 | 0 | 0 | 0 | 捕邪 | 三振 | 一飛 | 三振 | |||||
(一) | 小里 初雄 | 4 | 0 | 1 | 0 | 投飛 | 三振 | 右飛 | 遊安 | |||||
(二) | 川原 信男 | 3 | 0 | 1 | 0 | 中安 | 三振 | 四球 | 三振 | |||||
(右) | 福島 又男 | 4 | 0 | 0 | 0 | 二ゴ | 三失 | 二ゴ | 三振 | |||||
計 | 35 | 0 | 6 | 0 | 残塁9 | 失策2 | 暴投 呉2、捕逸 東1 |
嘉義農林 | 0 | = | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中京商 | 4 | = | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | X |
【中京商】 | 打 数 |
得 点 |
安 打 |
打 点 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
(左) | 大鹿 繁雄 | 2 | 0 | 0 | 0 | 四球 | 二飛 | 四球 | 四球 | 左飛 | ||||
(二) | 恒川 通順 | 5 | 1 | 2 | 0 | 投直 | 中安 | 右安 | 中飛 | 投飛 | ||||
(捕) | 桜井 寅二 | 4 | 1 | 2 | 0 | 右安 | 四球 | 投ゴ | 一安 | 二飛 | ||||
(右) | 鈴木 四 | 5 | 0 | 2 | 1 | 三ゴ | 左安 | 二ゴ | 右飛 | 左安 | ||||
(中) | 村上 重夫 | 4 | 0 | 1 | 0 | 四球 | 遊安 | 遊飛 | 遊ゴ | 遊飛 | ||||
(一) | 後藤 龍一 | 3 | 1 | 2 | 0 | 左安 | 四球 | 遊失 | 左安 | |||||
(遊) | 杉浦 清 | 3 | 1 | 1 | 0 | 三ゴ | 二安 | 四球 | 右飛 | |||||
(投) | 吉田 正男 | 4 | 0 | 0 | 0 | 遊飛 | 一飛 | 二飛 | 二ゴ | |||||
(三) | 吉岡 正雄 | 3 | 0 | 1 | 0 | 遊ゴ | 四球 | 二ゴ | 二安 | |||||
計 | 33 | 4 | 11 | 1 | 残塁13 | 失策3 |
投手成績 | 投 球 回 |
打 者 |
安 打 |
三 振 |
四 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
呉 明捷 | 8 | 41 | 11 | 0 | 8 | 4 | 3 |
吉田 正男 | 9 | 36 | 6 | 9 | 1 | 0 | 0 |
嘉義農林は『KANO 1931海の向こうの甲子園』2014年 台湾公開、2015年日本公開の映画の主役となったチームです。 (2008年のブログ記事から加筆しました) 1931年(昭和6年)夏の甲子園第17回大会は中京商が初出場ながら 初優勝の栄冠を手に入れ、前人未到の三連覇を達成する最初の年であり、 さらには彗星のごとく現れた新鋭の台湾代表・嘉義農林が大躍進した年 でもあります。 この試合で中京商は4得点の内、タイムリーヒットは1本のみ。あとは 相手の失策と投手暴投につけこんで(3回はタイムリーで1点、捕手の 2塁高投で塁上のランナーが還り2点。4回は2、3塁から投手暴投で 更に2点追加。)それを守り抜く、という俊足巧打、鉄壁の守備の ”中京野球”を遺憾なく発揮。夏の甲子園三連覇はもちろん、甲子園 V11の幕開けを告げる優勝でもありました。 一方の嘉義農林は全国に先駆けて甲子園出場一番乗り。新聞でも異彩を 放つ闘志満々のチームと紹介されています。何が異彩かというとレギュラー 9人のうち、先住民族の高砂族が4人、当時の内地人である日本人が3人、 本島人2人で組織されたチームだったからです。監督は松山商で監督を していたという近藤兵太郎氏。松山商直伝の猛練習で新鋭のチームを あっという間に強豪に育て上げました。この頃、監督は台湾内で精力的 にスカウトを行っていたようです。創部からわずかの間で急激に台頭 していることからも選手集めに力を入れていたというのは想像ができます。 ◆嘉義農林 夏の予選初参加からの成績 1900年(昭和0年)台湾大会 甲子園 1928年(昭和3年)● 1929年(昭和4年)● 1930年(昭和5年)● 1931年(昭和6年)○○○○ ○○○● (甲子園準優勝) ・・平成でいえば大阪桐蔭、済美、神村学園のような驚異的なスピード出世 なのでした。 結局戦前のみ参加していた外地チームは念願の全国制覇はなりませんでした が、嘉義農林は当時の野球ファンの心に深く残った印象的なチームの代表 といえそうです。 |