中等野球 文部省主催 幻の甲子園 1942年(昭17年) [地方大会]

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1942年(昭17年)、前年夏の甲子園中止から1年、次第に戦時色も濃くなる。
この年の中等野球は朝日新聞社主催から離れ、大日本学徒体育振興会大会
の競技の一部として、文部省主催で行われた。
当時野球は敵性スポーツとされていたために軍部の圧力もあり、多くの
野球部が廃部に追い込まれてしまい、それにより予選ではこれまで参加していた
岩手、福島、山梨、富山、島根、沖縄、朝鮮、満州からは参加校なしに
なってしまった。参加校が大幅に減少されたため、代表校は
これまでの22校から16校に変更された。

これまでの22校代表

北海道= 北海道
奥羽_= 青森、岩手、秋田
東北_= 山形、宮城、福島
北関東= 茨城、栃木、群馬、
南関東= 埼玉、千葉、神奈川
東京_= 東京
山静_= 山梨、静岡
信越_= 新潟、長野
北陸_= 富山、石川、福井
東海_= 愛知、岐阜、三重
京津_= 滋賀、京都
大阪_= 大阪
兵庫_= 兵庫
紀和_= 奈良、和歌山
山陽_= 岡山、広島、山口
山陰_= 鳥取、島根
四国_= 香川、徳島、愛媛、高知
北九州= 福岡、佐賀、長崎
南九州= 熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄
朝鮮_= 朝鮮
満州_= 満州
台湾_= 台湾

  ↓

16校代表
(岩手、福島、山梨、富山、島根、沖縄、朝鮮、満州は不参加)

北海道= 北海道
東北_= 青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島
北関東= 茨城、栃木、群馬、埼玉
南関東= 千葉、東京、神奈川
甲信静= 山梨、長野、静岡 (大会名が中部大会となっていた資料もあり)
北陸_= 新潟、富山、石川、福井 予想
東海_= 愛知、岐阜 予想
近畿_= 三重、奈良、和歌山
京津_= 滋賀、京都
大阪_= 大阪
東中国= 兵庫、岡山、鳥取 予想
西中国= 広島、島根、山口 予想
四国_= 香川、徳島、愛媛、高知
北九州= 福岡、佐賀、長崎 予想
南九州= 熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄 予想
台湾_= 台湾

意外だったのは高校野球・中等野球の夏の甲子園の歴史で、全国で東京とともに
皆勤で代表校を送り出している兵庫が、この大会では東中国大会の予選に
組み込まれていることだ。
兵庫が夏の甲子園に出場するために県予選だけではなく、2次予選も
戦わなければならなかったのはこの大会のみである。

この東中国大会では鳥取の代表校で一波乱あった。
鳥取予選で優勝して東中国大会の参加が決まっていた米子中だったが、
学校の校舎が火災で焼失してしまったため大会の出場を辞退してしまった。
米子中は決勝で鳥取商に7−1で勝って優勝している。しかし米子中の
代わりに東中国大会に出場したのは準優勝の鳥取商ではなく、前の
1回戦(準決勝)でその米子中に1−2と善戦した鳥取一中だった。
現在の春の選抜選考でも、このように優勝校に決勝で大敗した学校よりも、
準決勝以前で優勝校に善戦した学校の方が選ばれるということがたまに
あるが、当時からそういう選考の傾向があったということか。

北関東と南関東はそれぞれ代表枠が1校で、1校ずつ甲子園に出場している
が、北関東と南関東で関東優勝校を決めるという対戦も行われている。
夏の甲子園出場を決めた学校同士が甲子園の大会前に試合をするというのも
珍しい話だ。

大阪では練成大会なる大会が大阪大会より少し遅めに開催されているが、
これは同年の明治神宮国民練成大会の大阪予選のことなのか、それとも
全国大会とは関連のない公式戦なのか、よくわかっていない。

1942年(昭17年)幻の甲子園予選

◆大会 ◆代表校  ◆決勝戦のスコア
北海道 北海中_  北海中_ 4−2 札幌二中 
東北_ 仙台一中  仙台一中 6−2 弘前工
北関東 水戸商_  水戸商_ 4−0 桐生中
南関東 京王商_  京王商_ 7−6 帝京商
(関東) ____  水戸商_ 6−2 京王商
甲信静 松本商_  松本商_ 6−0 静岡商
北陸_ 敦賀商_  敦賀商_ 8−4 金沢商
東海_ 一宮中_  一宮中_ 3−2 岐阜商
近畿_ 海草中_  海草中_ 5−0 天理中
京津_ 平安中_  平安中_ 7−0 膳所中
大阪_ 市岡中_  市岡中_ 7−5 浪華商(延長13回)
東中国 滝川中_  滝川中_ 6−0 鳥取一中
西中国 広島商_  広島商_ 5−0 萩商
四国_ 徳島商_  徳島商_ 2−1 松山商 (延長11回)
北九州 福岡工_  福岡工_ 6−5 豊国商
南九州 大分商_  大分商_ 1−0 熊本工
台湾_ 台北工_  台北工_ 4−2 高雄中

甲子園では徳島商が平安中を破り優勝している。大会前になって
年齢制限(※)が敷かれ、何人かの有力選手が出場できなくなった
為、甲子園の展望としては混戦模様、といった評価だった。
特に悔やまれるのが、好投手・真田重蔵を擁した海草中だろう。結局
海草中は甲子園では準決勝で敗退。真田選手も年齢制限により出場はできなかった
が、その後に行われた明治神宮大会では見事優勝投手に輝いている。
この明治神宮大会優勝で海草中は空前絶後の大会4連覇を達成しているのだ。
海草中は戦争で中止になるまで夏の甲子園で2連覇を達成、連覇も継続中
だったので、戦争で中止にさえならなければ、中京商以来の夏の甲子園
3連覇、ひょっとしたら4連覇というのも決して夢ではなかった。

※ 年齢制限について・・これまでの夏の大会は満20歳までの選手が出場可能だったが、
この年の7月10日に満19歳以上の選手は出場禁止という規定が定められた。
また厚生省主管である明治神宮大会は従来どおりの数え年20歳までが出場可能。