高校野球 春夏連覇への道

歴代 春優勝校の夏の大会成績 夏春連覇への道 トップへ


高校野球の世界において最も輝かしい称号、 それが甲子園春夏連覇である。
もうおなじみだが、 この偉業を達成したチームはわずかに7校しかない。
史上初の春夏連覇は62年と意外に遅い。 春優勝した学校は
夏は優勝できないというジンクス が戦後長い間定着していたようだ。
春夏連覇達成校
作新学院
(栃木)

1962(昭37)
春の優勝校は夏には優勝できない、というジンクスを初めて打ち破った
のが62年の作新学院。伝説の第一歩となったこの春夏連覇への道のり
は試練の連続だった。春の選抜では準々決勝・八幡商戦では延長
18回の投手戦、再試合を制してその後優勝。夏はエース八木沢荘六が
赤痢入院するというピンチもあったが、代役エースの加藤斌の活躍
で逆境を乗り越え優勝。類稀な勝負強さで達成した快挙だった。
中京商
現中京大中京
(愛知)

1966(昭41)
甲子園史上最高の勝利数を誇る中京大中京。
それまでにも夏3連覇、夏春連覇の快挙を成し遂げていたが、
史上2校目となった春夏連覇を達成したのが66年。中心選手は
春夏ともに1人で投げぬいたエース・加藤英夫、左のスラッガー・
伊熊博一など。今でも選抜大会最長記録4時間35分の準決勝・宇部商
との死闘をはじめ、伝統の守りの野球で接戦を次々と制した。
箕島
(和歌山)

1979(昭54)
公立高校では唯一の春夏連覇校。選抜は3度目の優勝で夏は初優勝。
石井毅―嶋田宗彦のバッテリーを軸に守りを中心とした野球を
展開したが、本来は攻撃型のチーム。プッシュバントで相手を揺さぶる
戦略が印象的。名将・尾藤監督に率いられた負けないチームだった。
今だに語り草となったいるのが夏の甲子園3回戦の星稜との延長18回の
壮絶な死闘。延長の奇跡的な2度の同点ホームランは圧巻だった。
PL学園
(大阪)

1987(昭62)
あのKKコンビでも達成できなかった春夏連覇を彼らの2年後に実現。
野村弘、橋本清、岩崎充宏の投手陣に加え、立浪和義、片岡篤史
らの攻撃陣。総合力ではKK時代をも上回るような豪華布陣で
快挙を達成。特に夏の甲子園は危なげのない試合運びで他校を圧倒。
しかしこのチーム、前年秋の近畿大会では4点、そして春の選抜では
5点の点差を跳ね返した勝利もあった。逆転のPLも健在だったのだ。
横浜
(神奈川)

1998(平10)
平成の怪物・松坂大輔を擁して神宮、春、夏、国体、すべての全国大会
で優勝、更には県大会、地方大会でも無敗の空前絶後のチーム。
松坂が投打の柱だったが、バックを固めるメンバーもそのまま
全日本代表にしてもいいような戦力の充実ぶりだった。圧巻は夏の
準々決勝以降だ。PLとの延長17回の死闘、準決勝・明徳戦の大逆転、
決勝の京都成章戦では松坂のノーヒットノーランで劇的に締めくくった。
興南
(沖縄)

2010(平22)
前年秋の公式戦で防御率0.00を記録した「琉球トルネード」左腕・島袋
を中心に準決勝まで安定した戦いぶりで勝ち上がり決勝では日大三との
延長12回の激闘を制して初優勝。夏も順当に予選を勝ち上がると、
選抜後にフォークも習得した島袋は真っ直ぐの調子次第では変化球主体
に切り替え三振の山を築き甲子園計130奪三振。5点のビハインドを
負った準決勝報徳戦も強打で跳ね返すと、決勝は14得点と猛打爆発。
沖縄悲願の夏の甲子園初優勝を春夏連覇で飾った。
大阪桐蔭
(大阪)

2012(平24)
選抜は近畿4番目の選出だったが、優勝候補として臨んだ初戦で
エース・藤波VS花巻東・大谷のドラフト1位候補投手対決を制すると、
その後も難敵を次々撃破し春初優勝。春以降は負け知らずで、夏は予選
決勝で苦戦するも甲子園出場を決めると藤浪が150キロ超の速球で打者
を牛耳り、3回戦では控え投手の澤田も好投した。打線も2年生トップ
バッター森をはじめ打ちまくって決勝では史上初となった光星学院との
春夏決勝対決に勝利。他を寄せ付けない圧倒的な強さで勝ち上がった。
春夏連覇を達成した7校を見てみたが、大阪桐蔭の夏の大会を除けばすべて敗戦の
危機を乗り越えている。本当に強い学校というのは圧倒的な試合で勝つよりも、
負けを覚悟するような苦しい試合で実力を発揮できることも重要だということだろう。

一方、連覇まであと一歩に迫りながら敗れた学校については。
春夏連覇まであと一歩だった学校
松山商
(愛媛)
1932(昭7)
戦前最も春夏連覇に近づいたのが32年の松山商。春の優勝に続き夏
も決勝まで進出。相手の中京商は前年夏の優勝校。春夏連覇か
夏2連覇か、という試合だった。松山商は0対3の劣勢を9回で同点に
追いつく粘りを見せたが延長11回サヨナラで敗れ春夏連覇ならず。
法政二
(神奈川)
1961(昭36)
戦後最強と言われた法政二。エース柴田勲で夏春連覇。史上初の3季
連続優勝を目前に控えた夏の甲子園準決勝。相手は2季連続の対決
で連勝している怪童・尾崎行雄のいる浪商。この対決は球史に残る
名勝負。土壇場の粘りで浪商に追いつかれ延長で敗れた。
下関商
(山口)
1963(昭38)
下関商の豪腕・池永正明は当時から完成度の高いピッチングと評価は
高かった。春は3試合連続逆転勝利など苦しい試合を制して優勝。夏は
松商学園戦で左肩を脱臼してしまうアクシデント。しかし強靭な精神力
で続投。決勝では初回の失点が響き明星に2対1で惜しくも敗れた。
池田
(徳島)
1983(昭58)
名将・蔦監督が指揮した池田。バットを長く持ち、ブンブン振り回す
驚異のやまびこ打線で甲子園の1時代を築いた。前年夏の優勝から
春も明徳戦を除き圧勝で制す。史上初の3季連続優勝への期待は
高まったが、夏は甲子園準決勝でKKコンビのPL学園に衝撃的な大敗。
済美
(愛媛)
2004(平16)
創部2年にしていきなり春優勝という離れ業をやってのけた済美。
名将・上甲監督が率いるチームとはいえ、東北戦での大逆転、4試合
の1点差勝利など、とても創部2年目の学校の戦いぶりではなかった。
夏も決勝まで勝ち残ったが駒大苫小牧に壮絶な打撃戦の末敗れた。

春夏連覇を阻止した学校や、その他の連覇に届かなかった学校はどうか。
連覇を阻止、ということで一番最初に思い浮かぶのは83年池田の夏春夏3連覇を阻止
したPL学園だ。私はこの試合をテレビで観戦していたが、これほど衝撃を受けた試合は
後にも先にもない。箕島→早稲田実→池田→PL。80年代は非常に目まぐるしく主役の
学校が変わっていった印象がある。
昨年の夏決勝戦もすごかった。創部3年目の春夏連覇か、北海道勢初の優勝か、という
まさに歴史的1戦だった。勝った駒大苫小牧の猛打にはひたすら驚いた。

連覇阻止を学校別に見てみると中京商(32、33、36、40)と高知商(47、51、72、85)が
これまで4度も連覇を阻止している。中京商の連覇阻止はすべて戦前のものだが、
33年〜41年までの9年間のうち8度も愛知勢、岐阜勢で優勝を独占しているのだから、
この時期いかに東海地区のレベルが高かったか想像できる。
一方の高知商は4度の阻止のうち、3度が地方大会。南四国も野球レベルは高い。

戦前の27年〜31年の間の選抜優勝校は、レギュラーは夏休みにアメリカ旅行に
行けるという特典が付いていた。なのでこの間の夏の大会には選抜優勝校は、控えの
選手だけで戦わなければならなかった。
31年の選抜は広島商が優勝しているが、夏も29年・30年と連覇しており、春夏連覇と
夏3連覇のダブル快挙のチャンスがあったのだが、最後の夏は控えの選手だけで
戦い、結局予選の初戦で敗れてしまった。今となっては非常に悔いの
残る大記録へのチャンスだったと言える。


高校野球 夏春連覇への道

高校野球の長い歴史の中で甲子園夏春連覇を達成した学校は
1931(昭6)の広島商(広島)、1938(昭13)の中京商(愛知)、1961(昭36)の法政二(神奈川)、
1983(昭58)の池田(徳島)の4校しかない(↓赤字で表記)。
過去に夏春連覇に挑み選抜に乗り込んできた学校の成績を見てみよう。

前年夏
優勝校
成績 夏春連覇を
阻止した学校
この年の
夏の甲子園
1926(大15)第3回高松商ベスト8松本商(準優勝)
1927(昭2)第4回静岡中1回戦広陵中(準優勝)出場(2回戦)
1928(昭3) 第5回高松商ベスト4関西学院中(優勝)
1929(昭4) 第6回松本商1回戦八尾(ベスト4)
1930(昭5) 第7回広島商1回戦平安(ベスト4)出場(優勝)
1931(昭6) 第8回広島商優勝
1932(昭7) 第9回中京商ベスト4松山商(優勝)出場(優勝)
1933(昭8) 第10回中京商ベスト4明石中(準優勝)出場(優勝)
1934(昭9) 第11回中京商2回戦浪華商(準優勝)
1936(昭11) 第13回松山商ベスト8育英商(ベスト4)出場(1回戦)
1937(昭12) 第14回岐阜商ベスト8東邦商(ベスト4)
1938(昭13) 第15回中京商優勝
1939(昭14) 第16回平安中ベスト8岐阜商(準優勝)
1940(昭15) 第17回海草中2回戦島田商(ベスト8)出場(優勝)
1941(昭16) 第18回海草中1回戦東邦商(優勝)
1948(昭23) 第20回小倉中1回戦京都一商(優勝)出場(優勝)
1949(昭24) 第21回小倉ベスト4芦屋(準優勝)出場(ベスト8)
1952(昭27) 第24回平安ベスト8静岡商(優勝)
1961(昭49) 第33回法政二優勝出場(ベスト4)
1974(昭49) 第46回広島商2回戦大分商(ベスト8)
1976(昭51) 第48回習志野2回戦東洋大姫路(ベスト4)
1977(昭52) 第49回桜美林2回戦天理(ベスト8)出場(2回戦)
1979(昭54) 第51回PL学園ベスト4箕島(優勝)
1983(昭58) 第55回池田優勝出場(ベスト4)
1984(昭59) 第56回PL学園準優勝岩倉(優勝)出場(準優勝)
1986(昭61) 第58回PL学園1回戦浜松商(2回戦)
1990(平2) 第62回帝京1回戦北陽(ベスト4)
1991(平3) 第63回天理2回戦松商学園(準優勝)出場(2回戦)
1996(平8) 第68回帝京1回戦岡山城東(ベスト4)
1999(平11) 第71回横浜1回戦PL学園(ベスト4)
2002(平14) 第74回日大三1回戦報徳学園(優勝)
2003(平15) 第75回明徳義塾3回戦横浜(準優勝)出場(2回戦)
2005(平17) 第77回駒大苫小牧2回戦神戸国際大付(ベスト4)出場(優勝)
2006(平18) 第78回駒大苫小牧出場辞退 出場(準優勝)
2010(平22) 第82回中京大中京ベスト8広陵(ベスト4)出場(2回戦)
2013(平25)第85回大阪桐蔭3回戦県岐阜商(ベスト8)出場(3回戦)
2015(平27)第87回大阪桐蔭準決勝敦賀気比(優勝) 

戦前は学校の数が少なかった為か、学校の実力の差が大きかった為か
夏の甲子園で優勝した学校のほとんどが次の年の選抜にも出場している。
戦後は各学校の実力が均衡してきて、62年〜73年までは前年夏の優勝校は
選抜に出場していない。
更にここ20年は夏春連覇を狙い選抜に出場してもほとんど活躍できていないことがわかる。
逆に連覇を阻止した学校はそのまま勢いに乗って勝ち進むという傾向がある。
今後は果たしてどうなるか。