中等野球 優勝校決戦 1927年(昭和2年)

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春と夏の優勝校による争覇戦


1927年(昭和2年)第4回大会 〜 1931年(昭6年)第8回大会の春の選抜優勝校レギュラーは
アメリカ旅行に行けるという特典がついていた。そのためこの年の選抜優勝校である和歌山中は
夏の予選はレギュラーメンバーがアメリカ旅行中だったため補欠選手のみのチーム編成で出場。
甲子園出場は決めたものの1回戦で大敗した。
大会終了後になって和歌山中レギュラーがもし渡米せずに大会に参加していたならば
夏の大会も優勝していただろうという話になる。
そこで春の選抜優勝校の和歌山中と夏の大会優勝校の高松商との真の日本一を賭けた
争覇戦が大阪の寝屋川球場で実現した。
(高松商VS和歌山中の対戦成績は高松商が公式戦2勝、練習試合3勝の5連勝中だった)。
和歌山中・豪腕サウスポーの小川正太郎と高松商・サイドスローの水原茂の一騎打ちに注目が集まる。

試合は1回、高松商1番の堀定一が予想外のセーフティーバントを試み、成功。この意表をつく作戦に
和歌山中は浮き足立ち、そのまま勢いに乗った高松商がこの回に大量得点し、初回でほぼ決着がついた。

 高松商
 和歌山中
【高】 水原、井川―多胡
【和】 小川―島本

高松商が和歌山中を破りこの年の日本一の称号を手に入れた。
(和歌山中は渡米からの帰国後で練習不足だった)。
なおこの両校はその年の優秀な学校が選抜されるという明治神宮大会には出場していない。