九州
戦後1年後の1946年に夏の優勝野球大会が復活。さらにその1年後の1947年に選抜も復活した。
記念すべき選抜復活開催の社告は毎日新聞1947年(昭和22年)の1月23日付けで掲載されて
いる。開幕は3月30日だから、それまでの間に選抜出場校を決めなければならない。そこで各地で選抜
選考を兼ねた大会が行われることになった。グランドコンディションの関係で北海道、東北、北陸の
雪国地方のチームは試合を行うのはおそらく困難であっただろうと思われる。これらの地方のチーム
は最初からほとんど選抜選考の対象になっていなかった模様(山陰から松江中が選ばれている)。
九州中等学校野球大会は八幡市大谷球場で2月8日から5日間かけて開かれる予定だったが、降雪
によるグランドの都合上、開幕は翌9日に変更された。
◆参加校及び組み合わせ(毎日新聞福岡版)
福岡工 ───┐
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小倉中 ─┐ │ │
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中学済々黌 ─┘ │
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唐津商工 ─┐ │ │
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宮崎中 ─┘ │ │ │
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鹿児島商 ───┘ │
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大分中 ───┐ │
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豊国商 ─┐ │ │ │
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長崎商 ─┘ │ │
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※鹿児島中 ─┐ │
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中学修猷館 ─┘ │ │
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熊本商 ───┘
※鹿児島中はチーム事情により参加辞退。代わりに大分商が参加
することになった。
というわけでどんな結果だったのだろうと9日から順に記事を見ていくと、開幕日の9日は降雪による
球場コンディションの影響で15日に延期された、とある。15日の記事を見ると16日にまた延期。
16日が17日に延期。さらに17日が22日に延期。22日がまたしても延期となり翌3月の2日に
大会が行われることになった。
ところが大会を控えた3月1日。九州大会はまだ始まっていないにもかかわらず晴れの第19回選抜出場
26校が毎日新聞にて発表されてしまったのだった。九州からは小倉中、中学済々黌、熊本商の3校が
選ばれた。小倉中は西日本で当時最強といわれた下関商に試合で勝ったことがあるのが評価されたようだ。
選抜出場校の発表後から大会終了までは他の野球大会やリーグ戦に参加できないという大会規定があった
ため、結局、九州大会は5月に改めて開催されることになった。
・・その後の5月の紙面を追ってみたが、九州大会が開催されたような記事を
見つけることはできなかったので、大会は行われなかったのかもしれない。